14歳の人生の目的
なぜ生まれてきたのか なぜ生きるのか
14歳の人生の目的

14歳の人生の目的 ~第1章 人生には“目的”があるだろうか

1-1 仮定1『人生には目的がある』

人生に関しての第一の疑問、そして最大の疑問は、

“人生の目的は何か”

ということではないでしょうか。それは、“自分はなぜ生まれてきたのか”ということであり、“何のために生きているのか”という、人生の意味を問う質問です。

これらの質問は非常にシンプルですが難問です。明確に“こうだ!”と言いきれる人は多くありません。

ある人は、“一生懸命生きていれば、やがてわかるようになる”と言い、ある人は、“自分のためだけでなく、誰かのために働くことだ”と言います。“社会に貢献することだ”という人もいれば、“自分の才能を伸ばして思うように生きることだ”という人もいます。しかし多くの人は、

   “人生の目的は大事だと思うが、わからない”

というのが本音ではないでしょうか。

大人の中には、 “人生には目的がない”と考える人もいます。しかし、もし人生に目的がないとするなら、生きる意味がないことになり、そうなると、生きることを今すぐやめても、極端に言えば、自殺しても問題がないことになってしまいます。私としては、この考えは受け入れ難いので、ここでは“人生には目的がある”と仮定して話を進めたいと思います。

仮定1 『人生には目的がある』

1-2 目的の特徴

人生の目的が何かを考える前に、まず“目的”そのものについて考えてみましょう。目的とはどのようなものでしょうか。目的にはどのような特徴があるでしょうか。

三つほど挙げてみたいと思います。

特徴1:目的は、何のために行うかを明確にします

目的は、 “なぜ行うのか”に答えてくれます。例えば、学校で学ぶ主要な目的は、「知識や技術を身に着け、将来の職業、生活に備える」というように言うことができます。仕事をする目的は、「社会や人々に貢献し、それにより金銭を得て、生活の糧を得ること」と定義できます。買い物をするにも遊ぶにも、みな目的があります。

なかには目的の不明確なものもあります。そのような例としては、なんとなくネットサーフィンをする、だらだらとテレビを見る、というようなものがあります。何かを調べるとか、リフレッシュするというような明確な目的があればいいですが、そうでなければ、時間とエネルギーを無駄にして、後悔することになります。

特徴2:目的は、物事が始まる前に決まっています

学校で勉強する目的も、仕事をする目的も、遊ぶ目的も、飲み食いする目的も、すべて物事が始まる前に決まっています。目的が決まってから物事を始めます。目的は物事が始まってからではなく、始まる前に決まっています。

スティーブン・R・コビーは、その著書『7つの習慣』(キングベア出版)の中で、第2の習慣は、“目的をもって始める”ことだと教え、物事を始める前に目的を明確にすることの重要性を説いています。目的は、物事が始まる前に決まっています。

特徴3:目的は、物事が終わった後についても考えます

学校で勉強するのはなぜでしょうか、卒業した後の進学、就職のためです。働くのはなぜでしょうか。それは給料をもらって生活していくためです。みな、目的が達成された後のことを考えています。目的が達成されて終わりではありません。食事をするのもレクレーションするのも、そのあとのことを考えています。

目的の特徴を三つ挙げましたが、これらを人生の目的に当てはめて考えてみましょう。

  1. 人生の目的は、何のために生きるかを明確にします。
  2. 人生の目的は、人生が始まる前に決まっています。
  3. 人生の目的は、人生が終わった後のことも考えています。

人生の目的に関するこれらの考察は、私たちを一つの興味深い考えに導きます。それは、次のように表現できます。

「人生に目的があると仮定するなら、人生が始まる前の世界と、人生が終わった後の世界が存在すると考えられる」

学校へ行く目的も、仕事をする目的もみな、それらをする前に決まっています。人生の目的も人生が始まる前に決まっていると考えるのは、そんなにおかしなことではないでしょう。

しかし、生まれる前の世界、死んだ後の世界というような話になると、かなり宗教がかってきます。宗教アレルギーの強い日本人にとっては、拒否反応が強くなるところですが、ぜひ最後までお付き合いください。わたしたち一人一人に起こっている壮大な計画について一緒に考えていきたいと思います。

1-3 人類の起源と人生の目的

ここで少し、人類の起源について考えてみたいと思います。人類の起源にはいくつかの考えがあるようですが、最もよく知られているのは、“進化論”です。これは下等な生物から高等な生物へ進化が起き、人類が誕生したというものです。この進化は長い年月の間に起こる“偶然”や“突然変異”によって引き起こされます。この進化は環境に適応して起こり、やがて高等な生物へと進化します。

もし、人がこの進化によって誕生したのであれば、すなわち、“偶然”や“突然変異”により人類が誕生したのであれば、人生の目的はないように思います。人類が、誰かが考えたり作ったりしたものでなく、環境に適応して、“偶発的”に出来たものであるなら、そこに目的はないように思います。偶然には目的がないからです。

もし進化論を受け入れるなら、私の話もここで終わってしまうので、ここでは”人生には目的がある“という仮定に従って進めたいと思います。そして、人生に目的があるとするなら、進化論は成立しないことになります。

1-4 生まれる前

生まれる前の話について考えましょう。

人にとって生まれる前の世界というものは、ほとんどわかっていません。しかし、ここも仮定をしながら考えていきたいと思います。

まず、生まれる前の世界での一つの場面、人生の目的を決める場面について想像してみましょう。そこにわたしたちはいるでしょうか。生まれる前の記憶がないのでわかりませんが、自分の人生の目的を決める重要な場面ですので、ぜひともそこには参加していたいと思います。

人が自分だけで人生の目的を作成することは可能でしょうか。単に目的を定めるだけなら可能なような気もしますが、実際にそれを達成することを考えると、非常に難しいように思います。それは現在の私たちの置かれている状況を考えると容易に想像できます。

なぜなら、目的を達成するためには、そのための場所を用意したり、生活できる環境を整えたり、自分だけでなく関係する人・ものも適切に存在する必要があるからです。進化論のように偶然にできるのではなく、意図をもって地球を作り、生物を作り、人を作る、そして、目的が達成される状況を作る、そのようなことを考えると、人だけでそれを行うのは不可能に思えます。

例をあげて考えてみましょう。

私は車やオートバイが大好きだったので、自動車会社のエンジニアとして働きました。もし、人生の目的を「高性能で質の高い自動車を開発することで人々の生活を豊かにする」というようにした場合、それは達成可能でしょうか。現在のような環境があれば可能かもしれません。しかし、環境も含めてすべてを一から考え、用意するとなると、自分の力では到底達成できないように思えます。

私が自動車会社で働く前に自動車が発明され、高機能な材料や燃料が使えるようになっていなければなりません。そもそも鉄鉱石や原油が地球に存在しなければなりませんし、地球そのものも存在しなければなりません。私に自動車工学を教えてくれる人もいなければなりませんし、一緒に働いてくれる人もいなければなりません。その前に両親がいて、私を生んでくれ、育ててくれなければなりません。それらをすべて偶然ではなく、意図をもって行うわけですから、これは人の力では不可能です。

さらにこれを人類一人一人に対して行う必要があります。これらを行うためには、人の力をはるかに超えた能力が必要です。想像しにくいかもしれませんが、全知全能、すなわち、すべての物事を知り、すべての人、ひとりひとりを知っていて、すべての物事を行うことができるというようなお方でなければ、それは不可能です。

普通、わたしたちはそのような方を“神”と呼んでいますが、ここで二つ目の仮定を設定します。それは次のような仮定です。

仮定2 『神が存在する』

神ではなく、宇宙人や高等生物というようなことも思い浮かびますが、わたしには最終的にそれを真実だと証明する手段がないので、これらの案は省かせていただきます。

この全知全能のお方は、人が人生の目的を達成するのを助けてくださり、必要なものをすべて用意してくださいます。

ここまでに分かったことを整理してみましょう。

「人生に目的があると仮定するなら、生まれる前の世界や死んだ後の世界が存在し、そこには全知全能の神、すなわち人の人生の目的を定め、人がそれを達成できるように助ける力を持つお方が存在する」

話が非常に大きくなってきました。しかし、これからもっと大きくなってきます。大丈夫かと思われるかもしれませんが、ぜひもう少しお付き合いください。