14歳の人生の目的
なぜ生まれてきたのか なぜ生きるのか
14歳の人生の目的

14歳の人生の目的 ~第3章 “幸福”とは何だろう

これまで3つの仮定を設定しました。

仮定1 『人生には目的がある』

仮定2 『神が存在する』

仮定3 『神は人の父であり、人は神の子である』

この三つの仮定から考えられることは、

  1. 生まれる前の世界と死んだ後の世界が存在する
  2. 神が存在し、人は将来、父である神のようになる可能性を持っている
  3. 人が今あるのは、父である神のようになり、幸福を得るためである。

これから少しの間、神が得ておられる幸福について考えていきたいと思います。

3-1 人の幸福とは

最初に少し運動選手が行っていることについて考えてみましょう。運動選手は試合に勝つために練習します。体作りから始まって、基礎練習、応用練習、練習試合、そして本番の試合というようなことを行います。練習試合は本番を想定したものとなります。多くの分野でも同じような仕組みが用いられていると思います。高校受験もそうですね。基礎、応用、模試、そして本番の試験になります。

人は将来、神のようになると話しましたが、皆さんや皆さんの周りですでに神になっている人はいないと思いますので、実際に神になるのは、この生きている間ではないと思います。したがって、今はその備えの期間だと考えられます。

この人生が神になるための備えの期間だと考えると、基礎練習や応用練習だけでなく、本番を想定した練習が人生の中に含まれていると思います。そう考えると、いま生きている中に将来の幸福の元があるのではないでしょうか。ここでは、現在の人の幸福について考え、神が得ておられ、わたしたちに与えようとされている幸福について考えていきたいと思います。

それでは、まずは赤ちゃんから考えてみましょう。

赤ちゃんにとって幸福とはどんなことでしょうか。赤ちゃんの幸福は、両親に大きく依存しています。次のようなことが幸福につながります。

  • 生まれるのを期待されている。
  • 父母に愛されている。
  • 他の家族・親族にも愛されている。
  • よく世話をしてもらえる。
  • 衣食住が整っている。
  • 温かく愛にあふれた家庭である。
  • 正しいことが行われている。

両親が赤ちゃんを大切に思い、愛し養っているということは、赤ちゃんの幸福の中心要素になります。

それでは、両親の幸福はどうでしょうか。夫と妻は結婚の時に永遠の愛を誓います。愛し合う二人のもとに赤ちゃんが送られてくるのは本当に幸せなことです。もし、赤ちゃんの幸福と両親の幸福が異なってしまうとうまくいきません。

しかし、赤ちゃんの世話は大変なことです。赤ちゃんは、自分で歩くことも食べることもできません。トイレだってできません。話すこともできないので、ただ泣くだけです。両親は、そんな赤ちゃんを愛し世話をします。自分の時間はほとんどありません。朝も夜も関係なく泣きます。なぜ泣いているかよくわかりません。幸福でしょうか。

お父さんも大変です。毎日働き、稼いで来なければなりません。稼いだお金は自分のためにはあまり使われません。家族のために使われます。一人で好きな趣味に没頭することもほとんどできません。幸福ですか。

ある断面だけを見ると、幸福でないと感じるかもしれません。しかし、すこし長い目で見ると、愛する伴侶と愛する子供たちがいて、互いに犠牲を払い、助け合い、生きていくことは本当に幸福なことです。子供たちもやがてそのような両親の姿を見て、自分たちもそのように行うようになります。誰かに何かをしてもらうことは幸福なことですが、それ以上に誰かのために何かをすることはもっと幸福なことです。互いに愛し合っている家族は幸福をもたらします。

中学生や高校生になると、状況はもう少し複雑になります。将来の自立に向けて羽ばたこうとしますが、うまくいくときと、そうでないときがあります。良い友達ができる場合もありますが、そうでない場合もあります。勉強やスポーツができる場合もありますが、そうでない場合もあります。人気者になれる場合もありますが、そうでない場合もあります。

しかしどんな場合でも、またあなたがどんな状態でも、あなたを信頼し、あなたの可能性を信じ、慰めと励ましを与え、そばにいて愛してくれる人がいれば、それは幸せです。そのような父、母、そして兄弟・姉妹、家族がいること、これは本当に幸福なことです。

皆さんの家族がどのようなものかわかりませんが、もし、皆さんのお父さんとお母さん、すなわち、夫と妻が互いに愛し合い、夫と妻が自分たちの楽しみを犠牲にしてでも、その子供たちを愛している家庭は、たとえ貧しくても、病気や様々な苦難があっても幸せです。わたしたちは、このような幸福を願っています。そして、それがずっと続くことを願っています。

今私たちが生きている世界が”本番を想定した練習“であるとするなら、今私たちが感じている幸福、すなわち、家族が愛し合っていることは、神様が得ておられる幸福、将来、神がわたしたちに与えたいと考えておられる幸福も同様であると考えることができます。神はわたしたちの父であり、わたしたちが神の子であるなら、わたしたちは神の家族であり、愛し合う家族が幸福の源であるように思います。

人生に目的があると仮定すると、人生が終わった後の世界が存在するという考えになっていたと思います。現世、すなわち今生きている世界が本番を想定した練習であり、現世での私たちの幸福が、愛し合っている家族の中にあるとするなら、この現世が終わった後に得られる幸福も、家族の幸福に結びついているように思います。

ここからわかる結論は、神が私たちに用意しておられる幸福は、家族が幸福な状態で現在も、そして死後も永遠に続くことであると考えることができます。

「神が用意してくださっている幸福は、愛する夫婦・家族の関係がこの世から永遠にわたって続くことである」