14歳の人生の目的
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14歳の人生の目的

14歳の人生の目的 ~第4章 どうやって真実を“知る”のだろう

これまでに、次のことを仮定して議論を進めてきました。

仮定1 『人生には目的がある』

仮定2 『神が存在する』

仮定3 『神は人の父であり、人は神の子である』

 ここからわかる考えは、

  1. 生まれる前の世界と死んだ後の世界が存在する
  2. 神が存在し、人は将来父である神のようになる可能性を持っている
  3. 人が今あるのは、父である神のようになり、幸福を得るためである。
  4. 神が用意してくださっている幸福は、愛し合う夫婦・家族の関係がこの世から永遠にわたって続くことである

 この章では、これらの仮定と導き出された考えが真実であるかどうか、検証する方法について考えていきます。その流れは次のようになります。

  1. 一冊の書物を紹介し、この書物と聖書からこれまでの話について記された言葉を提示します。
  2. その書物の起源を説明します。
  3. その書物が真実の書物であるかどうか知る方法について説明します。
  4. 自分自身で真実かどうか確かめます。

この書物が真実の書物であることがわかれば、これまで話してきた仮定や、そこから導き出された考えが真実であることがわかります。真実であることがわかれば、わたしたちは人生を歩むうえで重要な知識と確信を得たことになります。そして、自信をもって、喜びをもって人生を歩んでいくことができます。

それでは、その書物を紹介していきましょう。

4-1 モルモン書

その書物は、『モルモン書』と呼ばれます。起源については後程説明しますので、まず、これまで話した内容に関する記述を聖書も含めて見ていきたましょう。

https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures/bofm?lang=jpn

人生には目的がある

「アダムが堕落したのは人が存在するためであり、人が存在するのは喜びを得るためである。」(モルモン書ニーファイ第二書2章25節、P.76)

「見よ、現世は人が神にお会いする用意をする時期である。まことに、現世の生涯は、人が各自の務めを果たす時期である。」(モルモン書アルマ書34章32節、P.408)

わたしが地の基をすえた時、どこにいたか。もしあなたが知っているなら言え。あなたがもし知っているなら、だれがその度量を定めたのか。だれが測りなわを地の上に張ったか。その土台は何の上に置かれたか。その隅の石はだれがすえたか。かの時には明けの星は相共に歌い、神の子たちはみな喜び呼ばわった。(日本聖書協会『口語訳聖書』ヨブ記37章4-7節、P.742-743)

神が存在する

「あなたはすでに数々のしるしを十分に持っている。あなたは神を試みようとするのか。あなたの同胞であるこのすべての人の証と、すべての聖なる預言者たちの証があるのに、あなたは『しるしをみせてくれ』と言うのか。あなたの前に聖文が置いてある。まことに、万物は神がましますことを示している。まことに、大地も大地の面にある万物も、大地の運動も、また各々整然と運行しているすべての惑星も、それらのすべてが至高全権の創造主がましますことを証している。」(モルモン書アルマ書30章44節、P.390)

「アブラムの九十九歳の時、主はアブラムに現れて言われた。『わたしは全能の神である。あなたは私の前に歩み、全きものであれ。わたしはあなたと契約を結び、大いにあなたの子孫を増すであろう』。」(日本聖書協会『口語訳聖書』創世記17章1‐2節、P.17)

「わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れたことである。そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れた。その中にはすでに眠った者たちもいるが、大多数は今もなお生存している。そののち、ヤコブに現れ、次に、すべての使徒たちに現れ、そして最後に、いわば月足らずで生まれたようなわたしにも、現れたのである。(日本聖書協会『口語訳聖書』コリント人への第一の手紙15章3‐8節、P.274)

「さて、わたしニーファイはまだとても若かったが、もう身の丈は高く、また神の奥義を知りたいという大きな望みを抱いていたので、主に叫び求めた。すると見よ、主が私を訪れ、心を和らげてくださったので、わたしは、父がこれまでに語った言葉をすべて信じた。(モルモン書ニーファイ第一書2章16節、P.5)

神は天の父であり、人は神の子である

「わたしは言う、『あなたがたは神だ、あなたがたは皆いと高き者の子だ。』」(日本聖書協会『口語訳聖書』詩篇第82篇6節、P.821)

「このように、われわれは神の子孫なのであるから、神たる者を、人間の技巧や空想で金や銀や石などに彫り付けたものと同じと、見なすべきではない。」(日本聖書協会『口語訳聖書』使徒行伝17章29節、P.212)

「それでも神の子たちは、しばしば集まって、神を知らない者たちの幸いのためにともに断食し、熱烈に祈るように命じられた。」(モルモン書アルマ書6章6節、P.301)

生まれる前の世界が存在する

「『わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、あなたを知り、あなたがまだ生まれないさきに、あなたを聖別し、あなたを立てて万国の預言者とした』。」(日本聖書協会『口語訳聖書』エレミヤ書1章5節、P.1043)

「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもってわたしたちを祝福し、みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の作られる前から、キリストにあって私たちを選び、わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めてくださったのである。」(日本聖書協会『口語訳聖書』エペソ人への手紙1章3‐5節、P.301)

「そして、祭司たちが聖任された方法は次のとおりである。すなわち、祭司たちは彼らの非常に深い信仰と善い行いのために、神の先見の明によって世の初めから召され、備えられていた。彼らは初めに善を選ぶのも悪を選ぶのも任されていた。そこで彼らは、善を選んで、非常に深い信仰を働かせたので、現在、聖なる召しを受けている。まことに、このようなもののために前もって用意された贖いとともに備えられ、また贖いに応じて備えられた、その聖なる召しを受けている。」(モルモン書アルマ書13章3節、P.327-328)

死んだ後の世界が存在し、わたしたちはそこで神のようになることができる。今生きているのは、それに備えるためである。

「御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかししてくださる。もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。」(日本聖書協会『口語訳聖書』ローマ人への手紙8章16,17節、P.243)

「したがって、あなたがたはこれからもキリストを確固として信じ、完全な希望の輝きを持ち、神とすべての人を愛して力強く進まなければならない。そして、キリストの言葉をよく味わいながら力強く進み、最後まで耐え忍ぶならば、見よ、御父は、『あなたがたは永遠の命を受ける』と言われる。」(モルモン書ニーファイ第二書31章20節、P.149)

「そして、わたしたちの知っているように、現在、死が人類に及んでいる。まことに、アミュレクが語った死、つまり肉体の死が及んでいる。にもかかわらず、人が悔い改めることができるように、猶予期間が与えられた。したがって、この世の生涯は試しの状態、すなわち神にお会いする用意をする時期、わたしたちが前に語った死者の復活後に訪れるあの無窮の状態に対して用意をする時期となった。」(モルモン書アルマ書12章24節、P.325)

幸福は愛し合っている夫と妻、そして子供たちが永遠に続くことである

「イエスは答えて言われた、「あなたがたはまだ読んだことがないのか。『創造者は初めから人を男と女とに造られ、そして言われた、それゆえに、人は父母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである』。 彼らはもはや、ふたりではなく一体である。だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない」。(日本聖書協会『口語訳聖書』マタイによる福音書19章4-6節、P.30)

「見よ、レーマン人の夫は妻を愛し、妻は夫を愛し、夫と妻は子供たちを愛している。」(モルモン書ヤコブ書3章7節、P.160)

「ただ、主にあっては、男なしには女はないし、女なしには男はない。それは、女が男から出たように、男もまた女から生まれたからである。」(日本聖書協会『口語訳聖書』コリント人への第一の手紙11章11-12節、P.268-269)

<参考※>

「・・・そして、彼らはそこに置かれる天使たちと神々のそばを通り過ぎ、彼らの頭に結び固められたように、すべての事柄について昇栄と栄光を受けるであろう。その栄光とは、とこしえにいつまでも子孫が満ちて続くことである。それで、彼らは神々となる。彼らには終わりがないからである。それゆえ、彼らは続くので永遠から永遠に至り、すべてのものが彼らに従うので、彼らはすべてのものの上にあるであろう。それで、彼らは神々となる。彼らは一切の権威をもち、天使たちが彼らに従うからである。(※教義と聖約132章19-20節、P.361-362)

※教義と聖約:ジョセフ・スミス(4-2参照)とそれ以降の預言者が受けた啓示を集めた書物

4-2 モルモン書の起源

それでは、モルモン書の起源についてお話しましょう。

モルモン書は、1830年にアメリカ合衆国で出版されました。初版は英語で5000部印刷されましたが、2020年現在、100以上の言語に翻訳され、累計1億8000万冊以上が出版されています。(『モルモン書の出現』2020年4月末日聖徒イエス・キリスト教会総大会、ウリセス・ソアレス)

まず、このモルモン書が出版される10年前に起こった一つの重要な出来事についてお話しましょう。

最初の示現

この出来事は、「最初の示現」と呼ばれています。それは一人の14歳の少年に起こりました。彼の名前はジョセフ・スミスと言い、アメリカ・ニューヨーク州に住んでいました。

当時、彼が住んでいた地域で「第二次大覚醒」と呼ばれる宗教上の大きな騒動が起こり、キリスト教の多くの宗派が熱心に布教活動を行い、たくさんの改宗者を得ていました。ジョセフも牧師たちから話を聞き、教えを学びはじめましたが、宗派によって同じ聖書を様々に解釈して教えるため、まだ14歳で知識も経験もない彼にとって、どの教会が真実の教会なのか、自分がどの教会に加わるべきかを判断するのは困難でした。

そんなある日、ジョセフが聖書を読んでいると、ヤコブの手紙の中の次の聖句が心に留まりました。

「あなたがたのうち、知恵に不足しているものがあれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。」(日本聖書協会『口語訳聖書』ヤコブの手紙第1章5節、P.360)

彼はヤコブの言葉に従い、様々な教会の中から自分がどの教会に加わるべきかを神に尋ねるために森に入り、祈りを捧げました。彼の祈りは応えられ、父なる神とイエス・キリストが現れ、どの教会にも加わってはならないと告げられました。

モロナイの訪れ

この出来事から3年が過ぎた1823年に、ジョセフ・スミスのもとに一人の天使が訪れました。彼は古代アメリカ大陸に住んでいた預言者で、名をモロナイと言い、ジョセフに一つの古代の記録について話します。この記録は、金の版に刻まれており、近くの丘に埋められていると告げます。

この訪れから4年後、ジョセフはこの金の版を受け取り、神の賜物と力によって英語に翻訳し、それをモルモン書として出版しました。

モルモン書の概要

このモルモン書は、紀元前600年頃、神に導かれてエルサレムからアメリカ大陸に渡った、一つの家族の物語から始まります。モルモン書は、約1000年間にわたるこの家族とその子孫の記録です。記録したのは主に民の中の預言者で、彼らは民の中に起こった重要な出来事、特に神にかかわる重要な出来事を記録します。これらの記録は代々預言者に引き継がれ、やがてモルモンという一人の預言者の手にわたります。

モルモンは、これらの膨大な記録の中から、現代の人々、すなわち今の私たちにとって価値があると思われる記事を選び、一つにまとめます。そして、それを息子のモロナイに引き継ぎ、モロナイはそれを地に埋めて隠します。復活したモロナイは、約1400年後にジョセフ・スミスに現れ、それを引き渡しました。少しモルモン書の序文から引用させていただきます。

「『モルモン書』​に​記録​されて​いる​中​で​最も​栄光​ある​出来事​は、主​イエス・​キリスト​が​復活​後​間もなく、ニーファイ人​の​間​で​親しく​教え​導かれた​こと​で​あろう。また、『モルモン書』​は​福音​の​教え​を​宣言​し、救い​の​計画​の​概要​を​説き、人​が​この世​で​平和​を​得、後​の​世​で​永遠​の​救い​に​あずかる​に​は​何​を​しなければ​ならない​か​を​告げて​いる。」(モルモン書、序文)

ぜひ、モルモン書を手に入れ、じっくり読んでいただきたいと思います。下記のリンクからも読むことができます。

https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures/bofm?lang=jpn

「モルモン書は、神に導かれてエルサレムからアメリカ大陸に渡った民の記録であり、聖書とともに幸福の計画について教え、この世で平安を得、後の世で永遠の幸福を得るために何をしなければならないかを教えている」

4-3モルモン書が真実であると知る方法

本に書かれた内容が真実であるかどうかを確かめることは、一般的には簡単ではありません。特に、書かれている内容が過去のことであったり、未来のことであったりすると、検証するのは、ほぼ不可能です。

しかしながら、モルモン書にはこの書物が真実であるか知る方法が記されています。それは、モルモン書の最後の章に記されています。

見よ、わたし​は​あなたがた​に​勧めたい。あなたがた​に​とって​この​記録​を​読む​こと​が、神​の​知恵​に​かなう​よう​で​あれ​ば、あなたがた​は​これ​を​読む​とき​に、アダム​が​造られて​から​あなたがた​が​これ​を​受ける​とき​まで、主​が​人​の​子ら​に​どれ​ほど​憐れみ​を​かけて​こられた​か​を​思い起こし、それ​を​​心​の​中​で​深く​考えて​ほしい。

また、この​記録​を​受ける​とき、これ​​真実どうキリストよって永遠なる​​問うように、あなたがた勧めたい。もし​キリスト​を​信じ​ながら、​誠心​誠意​問う​なら​ば、これ​​真実あることを、聖霊よってあなたがた​​明らかしてくださる。

そして​聖霊​の​力​に​よって、あなたがた​は​すべて​の​こと​の​​真理​を​​知る​で​あろう。」(モルモン書モロナイ書10章3-5節、P.742)

モルモン書が真実であるかどうか知る方法は、

  • モルモン書を読む。
  • 神が人にどれほど憐れみをかけてこられたか思い起こし、深く考える。
  • 真実かどうかキリストの名によって神に問う。
  • 聖霊の力によって真実かどうか明らかにされる。

方法としては非常に簡単です。しかし、クリアにしておかなければならないことがいくつかあるように思います。

1.どのように読むのか

まず、読むこと自体はそんなに難しくないでしょう。聖書の背景がわからないと理解しにくいところもありますが、それはあまり問題ではありません。読みながら、神の憐れみを想像してみてください。すなわち、人が人生の目的を理解し、幸福を得られるように教え導かれる神の姿、それにもかかわらず、それに背く民、彼らを何度も赦し、忍耐し、道に戻れるように愛し助けてくださる神、そのような神の憐れみ深い姿をぜひ想像しながら読んでください。

2.真実かどうか神に問う

次は、この書物が真実かどうか神に問うことです。これは祈りを通して行います。方法はこうです。

  • 「天のお父様」 最初に天のお父様と言って神に呼びかけます。
  • 「〇〇に感謝します。」 次に感謝を述べます。〇〇には、いろいろなものが入ります。健康であったり、学ぶ機会であったり、家族であったり、多くの感謝することを思い浮かべることができると思います。人生の目的について考える機会にも感謝できます。
  • 「△△を祝福してください。」 三番目は祝福を願います。お願いしたいことはたくさんあると思います。健康や安全、家族の幸福など様々あります。ここで、モルモン書が真実であるかどうか示していただけるようにお願いします。
  • 「イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。」最後にこのように言って、祈りを終えます。

あなたがすでに、神やキリストを信じているなら、これも難しくはないでしょう。しかし、そうではない人にとっては難しいチャレンジかもしれません。まだ信じていないのに“信じながら”というのは矛盾していてできないと感じるかもしれません。少し助けになるたとえ話をしたいと思います。

「ある人が仕事を探しています。彼は求人誌でとても良い仕事を見つけ、面接に行きました。そこで面接官に気に入られ、採用され働くことになりました。仕事は少しきついですが、かなりの高給です。

しかし、彼は不安になります。本当にこんなに高い給料が払われるのだろうかと。もし、先に給料がもらえるならいいのですが、そうはいきません。そこで彼は、働く前にいくつかのことを確認することにしました。まず、面接官の言動を振り返ってみました。すると、最初から最後まで彼の言動は信頼できるものだとわかりました。次に契約書を見直しました。不具合はありませんでした。最後に、この会社ですでに働いている人の話を聞いてみました。彼らは、本当にこの給料が払われていると教えてくれました。100%絶対安心ということではありませんが、彼は、面接官と契約書と働いている人の言葉を信頼して、この会社で働くことにしました。」

このたとえを今回のケース、 “キリストを信じながらモルモン書が真実な書物かどうかを神に問う”に当てはめて考えてみたいと思います。

面接官や契約書は信頼できるでしょうか。面接官は、これまでこの本に書かれていた内容です。信頼できそうでしょうか。言っていることに希望は持てるでしょうか。契約書はモルモン書そのものです。語られていることに誠実さを感じたでしょうか。文学的にどうかというようなことではなく、著者が真実を語っていると感じたでしょうか。イエス・キリストについて多くのことが書かれていますが、その内容は信頼でき、喜びをもたらしたでしょうか。

現在給料が支払われているかどうかの確認は、皆さんの周りの、すでにこのモルモン書を読んだ人に尋ねてみることで可能です。2024年現在、日本では1000~5000人に一人ぐらいがこの経験をしていると思われます。学校に一人いるかどうかで、出会う確率は非常に低いですが、そのような人がいたら、モルモン書が真実だと知っているか尋ねてみるといいでしょう。そのような人は、次のような特徴があります。

  • コーヒーを飲まず、お茶は麦茶を飲む。
  • 日曜日に遊びに誘っても、日曜日は遊べないと言う。
  • 嘘はつかず、誠実である。

このような人がいれば、モルモン書が真実であるかどうか知っている可能性があります。ぜひ、尋ねてみてください。もし、周りにそのような人がいなければ、すこし勇気がいる方法ですが、街を二人組で歩く、あるいは自転車に乗っている宣教師に声をかけて尋ねてみてください。誠実に答えてくれるでしょう。

どんな仕事も、まず一か月働かなければ給料はもらえません。ぜひ、モルモン書を読み、深く考え、キリストを信じながら、祈りを通して神に尋ねてください。真理が明らかにされるでしょう。

3.聖霊の力によって真実かどうか明らかにされる

最後は、 “聖霊の力によって真実が明らかにされる”というくだりです。神に尋ねた時、その答えは、数学の証明問題を解いたり、物理実験により証明したりするというような方法では与えられません。

答えは聖霊の力によって与えられます。聖霊は霊のお方で、真理を明らかにしてくださるお方です。聖霊は、人の心に働きかけ、人に確信を与え、平安を告げ、喜びをもたらします。また、人の思いに働きかけ、神聖な知識を与えます。

聖霊が働きかけられたときに私たちに起こることをいくつか紹介します。

  • 神が確かにおられるという確信を得る。
  • モルモン書が真実の書物であるという強い確信を得る。
  • 神が人を心にかけ、幸福の計画を用意してくださっているということを理解する。
  • 苦難に対して、慰めを得る。
  • 心に温かい気持ちを感じ、平安を得る。

このような聖霊による働きかけは、いつ起こるのでしょうか。これはわかりません。すぐに起こる場合もあれば、少し時間がかかる場合もあります。急激に起こることもあれば、徐々に起こることもあります。しかし、必ず起こります。

皆さんは、この方法が科学的でないと思うかもしれません。しかし、この方法はどんな人でも実践することができます。大人でも子供でも、お金持ちでもそうでなくても、知識があってもなくても、人生の経験があってもなくても、どんな人でも皆この方法で真理を知ることができます。これはとても公平なことではないでしょうか。

人生の目的を知ることは、大きな価値のあることです。もし、それが一冊の書物を読み、誠心誠意祈って神に尋ねるという簡単な方法で得られるのであれば、やらない理由はあまりないのではないでしょうか。

もし、人生に目的があり、生まれる前の世界があり、神がおられ、神が人の父であるならば、誠心誠意尋ねる子供たちに答えてくださらないことはないでしょう。

一般的に、物事が正しいかどうか判断するためには、一つの条件について検討するだけではなく、あらゆる条件を検討し、いずれの場合でも正しいということを証明しなくてはなりません。

これを今回のような場合に当てはめてみると、モルモン書の言葉を研究するだけでなく、聖書も研究し、世界中の宗教者、研究者の論文も学ぶ必要があります。さらに、キリスト教だけでなく、仏教やイスラム教についても学ばなければなりません。また、考古学的な検証も必要になります。世界中に何百、何千とある宗派についても学ぶ必要があります。もしかしたら、ヘブライ語についても学ばなければならないかもしれません。

可能でしょうか。

これは実質的に不可能です。私たちが生涯をかけても難しいでしょう。これまで多くの人々が聖書を研究してきましたが、一致する答えには至っていません。様々な宗派が起こっていることを考えるとわかります。

神が示された方法はこのような方法とは異なっています。聖霊を通して、全体が真実であることが示されます。そうすることで、私たちは人生を迷うことなく、明確な目的をもって歩むことができるのです。ぜひ読んで試してみてください。

「モルモン書が真実かどうかは、モルモン書を読み、深く考え、神に尋ねることによって明らかになる」